« ローレンツ収縮の枠組 | Main | HDDレコーダー »

May 10, 2006

「加爾基 青春 栗ノ花」

131700923_82

バーテープを交換して、小雨の中、夜の大阪城を走っていた。日本海
の疲れがまだあるので、いつもより2km/hほどアベレージを落として7周
走って帰った。周回中、中央大通りのあたりで栗の花のにおいがした。
内周に入るところでは季節になると桃園から桃の香りがする。
ビール工場、その他の発酵臭っていうのは、生物にとって、その原始
の時からのDNAレベルに刻まれている記憶を呼び起こすにおいであ
る、みたいなことを読んだことがあるけど、栗の花のにおいをかぐと
6年くらい前の記憶を思い出してなつかしい気持ちになる。

29歳の時、当時私が住んでいた渋谷区の外れの賃貸アパートの近く
に立て続けに友達が2人越ししてきた。1人は会社をやめてバンドで
一旗あげようと、もう1人は海外青年協力隊でアフリカから日本に帰
ってきて、私のアパートのすぐ近くにやってきた。
バンド君(小中学校の同級生、それまで10年くらい連絡をとってなかった
のにいきなり電話がかかってきて一緒に不動産屋にいった)はそれまで
大きな会社にいたからだろう、オートロック、フロリーング系のアパート
選び、アフリカ君(アメフト友達)は木造、風呂無し、便所共同っていう
アパートを選んだ。私は「ずっと気楽に遊んで暮らそう」という計画に挫折
した頃でアパートでごろごろしていて、そこにしばらくは貯金を食いつぶして
やっていく予定の2人が移り住んできた。

毎日持ち回りで料理を作って、そこに皆が集まって食べて飲んでしゃべ
る。夜明けくらいまでそんなことをして、それぞれのアパートに戻ったり
そのまま雑魚寝したりした。18歳の1年間を東京の予備校の寮で過ご
したことがあって、それが本当に楽しくて、もうあんな生活を送ることは
ないんだろうなってずっと思っていたのだけど、それが10年後にいきなり
復活した。予備校時代っていうのは、特に夏くらいまではそれぞれが
自分の未来の無限の可能性っていうものを信じていられるから、夢を語
ることがごく自然なことだったし、全国から集まってきたいろんな種類の
男の子達と一緒にご飯を食べ、風呂に入り、(こっそり)酒を飲んで未来
を語る生活というのはほんとうに楽しいものだった。

30歳を目前にして、無限の可能性ってところまではさすがに難しかった
けど、でも会社をやめたり、事務所から東京で活動しないか、と言われ
引っ越してきたり、私も次の年くらいには大阪に引っ越して、新しい
生活を始めようと考えていたりしたこともあって、有限ではあるかも
しれないけど、でも大きく開けているかもしれない未来を感じることが
できた。バンド君のライブのMC原稿を私が書いて、アフリカ君がビデオ
撮影をしたり「バンド君 for AFRICA」と銘打って女の子との飲み会をした。

次の年、私は大阪に引っ越して、バンド君はIT関係の会社に就職し、
また高給取りに戻って、結婚して多摩川沿いに引っ越した。アフリカ君は
公務員試験に受かって九州に引っ越した、そして誰もいなくなった。東京
に行った時には、最寄り駅から私たちのアパートの周辺を歩いてみる。

ある朝、アフリカ君のアパートで朝まで飲んで、空気を入れ換えようと窓
を開けたら、目の前にある小学校の校庭に植えられていた栗の木からの
においに「なんかたまらんにおいやな~」と3人で大笑いした。オートロック
のアパートの中には近づけないけど、便所共同アパートは相変わらず外
から丸見えで窓には彼が残していったカーテン(近所のダイエーで買った)
がまだ使われていた。栗の木もまだ校庭に植わってはいたけど、以前は
開放されていた校門は施錠されていて、あの時以来の木登りをすることは
できなかった。


« ローレンツ収縮の枠組 | Main | HDDレコーダー »

Comments

”アノ頃の輝き”がどんどん目減りしている昨今、
悲しいやら切ないやら焦るやらです。
どんなにあがいても、決して取り戻せない日々
の出来事って、ありますよね。

Posted by: ロラお | May 11, 2006 at 01:37 PM

私も含めて自転車愛好家の多くは、そんな「楽しかったあの頃」、あるいは
「実際には存在していなかった、古きよき時代」ってものを再び(初めて)
獲得しようとして、必死になって自転車に乗っているんだろうなっていつも
思います。それが「倒れる寸前まで運動する俺」「仲間と一緒の俺」ってこと
をことさらアピールしてみたり、「速さ」っていうレースに出る人にしか本来通
じない価値観で自転車愛好家全体に序列をつけてみたり、そんな日記を書
いたりする、という形になってあらわれてくるのだろうと思います。、草アメフト
をしていても同じことを感じます。

そういうのって、(じたばたあがいているようでみっともないな~)とか
(人生で初めて得られた、他人に勝っているっていう感覚がそんなに
 うれしいの、たかだか趣味の自転車やん?)なんて意地悪なことを
思ったりもしますが、私もその中の一人でもあるわけです。つい「朝まで
飲んで」みたくなったり、「1日に200km!アホやね~。」と言われたくなり
ます。打算的で無い行動をすることが、あの時代へ少しだけでも戻れる
(あるいは初めてたどり着ける)ように思えるわけです。

特に「実際に存在していなかった~」の方についてはいろいろと考えます。
誰だって、自分の人生が特別なものであると思いたいし、価値のあるもの
だって考えたいけど、でもその自分の人生そのものに価値があるかって
どうかってなると(もちろん本人にとってはそれぞれ等しく価値があるわけ
ですが)、特にそれを他の人に納得させようと思ったら、わかりやすいモノ
(大冒険活劇話、その他)が必要になってくるわけで、それが用意できない
時には、自分に価値があったと思いたい時期(主に青春時代が多いのかな)
に慣れ親しんだもの(音楽、小説、ファッション、その他)ってものには現代
のそれより価値があるって風に考えたりしてしまいます。アイドル好きの私
が「AKB48(秋葉原系アイドル」で盛り上がっているのを見ては、(ばかやろう
モー娘の黄金の4期の時代はもっと熱かったんだよ、リアルタイムで知って
んのか!)って言いたくなるようなものですね(^_^;)

私のブログのサブタイトルにもなっていますが、最近、愛国心って言葉が
あふれ、自分が所属しているこの国を古き良き時代に戻そうなんて感じ
の主張がされたりしています(論者が主張する、古き良き日本っていう
のがそれぞれが青年期時代を過ごした時代の日本の姿であることが多
いってところが面白いなって思います。)

Patriotism is the last refuge of a scoundrel.

「愛国心はならずものの最後の避難所」が直訳だとは思いますが、何も
誇るものがない人が最期のよりどころにするのが愛国心だっていう風に
解釈しています。

誰の人生(存在)も等しく価値があるが、ほとんどの人の人生(存在)なんて
他の人にとってみればなんの価値もない。(なんだか326みたいで気持ち
悪いですね)そこにきちんと向き合うことができたら、いろんな意味で風通し
もよくなるのにって思うけど、私も含めて難しいことですし、そもそもがそこ
から自由になれるのは、「そんな頃」に主観的にも客観的にも楽しめていた
ような人だけなのかもしれません。とにかく日本という国で暮らしていると
他者と比較して幸せが決まるっていう考え方と若さへの執着(若い時代に
のみ価値がある)がすごく強いから難しいことです。私が時代の旬ってもの
にこだわったりするのも、そういうことなんでしょう。
イタリア人のように中年になれば思いっきり太って、ワインを飲んで楽しく
貧乏に暮らす、なんていうのにあこがれますが、オーストラリアにいる妹が
帰国の度に横に大きく成長していくのを見ていると、
「自転車でも乗ってダイエットすれば?」というMind your own business !
なんて言われそうなことを思ってしまったりもするわけだから難しいです。

今日も大阪城でじたばたもがいて(あがいて)きます。

Posted by: かなたに | May 11, 2006 at 05:05 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/41833/10004268

Listed below are links to weblogs that reference 「加爾基 青春 栗ノ花」:

« ローレンツ収縮の枠組 | Main | HDDレコーダー »